1380年 |
フランス |
ドルドーニュ川南域の国王代理官 中・南部の一種の総督 |
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フランス |
軍事・外交上の任務 所領の行政 役人に任せる |
1380年10月 |
フランス |
パリ セーヌ左岸(現フランス学士院)にネスルの居館を得る |
1383年 |
フランス |
長男シャルル 死去 |
1385年 |
フランス |
アンジュー侯ルイ 死去 エタンプとジエン伯領など 遺贈される |
1386年 |
フランス |
次男ジャン シャルル6世の妹カトリーヌと結婚 モンパンシエ伯 |
1389年 |
フランス |
シャルル6世(まもなく21歳)自らの統治を決意 ラングドックの代理権を取り消す |
1389年6月5日 |
フランス |
妻ジャンヌが1388年に死去、ジャンヌ・ド・ブーローニュ(12歳)と再婚 |
1392年8月5日 |
フランス |
シャルル6世 最初の狂気の発作 |
1397年 |
フランス |
次男ジャン モンパンシエ伯死去 男系継嗣を失い私的財産を国王に譲渡する決心 |
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フランス |
ブルゴーニュ侯とオルレアン侯の対立 ベリー公ジャン 仲裁 |
1401年 |
フランス |
ラングドック、ベリー、オーヴゥルニュ、ポワティエの代理権 回復 |
1404年 |
フランス |
ブルゴーニュ侯フィリップ 死去 ジャン無畏侯 |
1405年8月21日 |
フランス |
パリ総督 市民戦争に歯止めをかける |
1407年 |
フランス |
オルレアン侯 ジャン無畏侯の刺客に殺害される |
1409年3月9日 |
フランス |
シャルトルで一時的和解 シャルル6世にジャン無畏侯の許しを請う |
1410年4月 |
フランス |
シャルル・ドルレアンと孫娘ボンヌとの結婚の取り決め ジャン無畏侯の敵になる |
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フランス |
ブルゴーニュ派とアルマニャック派の抗争 |
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フランス |
「ビセトルの和議」を受け入れ ベリー領を回復 |
1411年10月23日 |
フランス |
ジャン無畏侯 パリ入城 市民 ビセトルの居城掠奪 |
1412年 |
フランス |
シャルル6世とジャン無畏侯 ブールジュを攻囲 包囲は解かれる |
1412年10月 |
フランス |
パリ入城 ネスルの居館で冬を過ごす |
1413年1月 |
フランス |
三部会招集 ブルゴーニュ派市民反乱 「カボシエンヌ法」公布 |
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フランス |
反動派 カボシエンヌ派を制圧 再度パリ総督に任命 |
1415年10月 |
フランス・イギリス |
アザンクールの戦い フランス軍敗れる |
1416年6月15日 |
フランス |
ネスルの居館で死去 |
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ベリー公のいとも豪華なる時禱書 ベリー公の生涯 年表1 |
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ヨーロッパ(北方)ルネサンス年表 1410年代 |